沿革・歴史
創業1921年~1950年代
1921 | 大正10年10月 | 創業者柴田正、柴田弘の兄弟(愛知県豊田市出身)が、東京都文京区本郷金助町28番地に柴田製作所を設立し、理化学用ガラス加工品の製造を開始。 |
1924 | 大正13年11月 | 関東大震災により、文京区本郷西竹町に移転 |
1929 | 昭和4年5月 | 柴田弘独立し、千代田区神田乗物町に柴田弘製作所を設立。石油化学向ガラス分析器などの製造開始。 |
1930 | 昭和5年10月 | 柴田弘製作所事業拡張のため、千代田区神田堅大工町に転居、排ガス換気に留意した加工工場を完成。従来の足踏みふいごを廃止し、エアコンプレッサーを設置し、生産の合理化を図る。 |
1933 | 昭和8年4月 | 柴田弘製作所がガラスフィルターの開発に成功、販売開始。 |
1934 | 昭和9年10月 | 柴田製作所 文京区本郷真砂町に移転。柴田弘製作所 千代田区神田須田町に移転。 |
1937 | 昭和12年4月 | 柴田弘製作所、合名会社に組織替え。 |
1940 | 昭和15年4月 | 柴田製作所、皇紀2600年を記念して業界初の理化学ガラス総合カタログを発刊する。 |
1940 | 昭和15年8月 | 柴田弘製作所事業拡大に伴い、台東区上野花園町7番地に新工場を建設し、増産体制を確立。直ちにガラスるつぼ炉一基を建設、ガラス溶融の研究に着手。 |
1941 | 昭和16年3月 | 柴田弘製作所、各種蒸留装置、高精度ガラスフィルターろ過器などの増産に踏み切る。 |
1943 | 昭和18年3月 | 柴田製作所と柴田弘製作所を合併し、台東区上野花園町7番地において合名会社柴田製作所を設立。 |
1943 | 昭和18年4月 | 池田理化社長池田泰三氏のご支援により本社工場が陸軍航空本部監督工場に指定される。 |
1944 | 昭和19年10月 | 石炭燃焼によるガラス溶解窯完成。加工用ガラス管、生地類の製造開始。 |
1945 | 昭和20年3月 | 柴田化学器械工業株式会社に改組し、柴田正が代表取締役社長に、柴田弘が代表取締役専務に就任。 |
1947 | 昭和22年3月 | ヒロム印ビーカー、フラスコ、シャーレ、冷却器製造開始。 |
1947 | 昭和22年10月 | メスフラスコ、ビュレット、ピペットなど、ガラス体積計の製造開始。 |
1949 | 昭和24年6月 | 多年の研究により高品質で安定性の高い理化学医療用硬質ガラス素材「SB-24」の生産を開始し、業界初の本格的ガラス溶融から加工仕上げまでの一貫生産体制を確立。 |
1949 | 昭和24年8月 | 多年の研究が実り、ハリオガラスの溶融に成功する。 |
1951 | 昭和26年5月 | 労研ろ紙じんあい計製造開始、労働衛生分野進出の第一歩となる。 |
1951 | 昭和26年11月 | 東京都江東区深川白河町に深川工場新設。 |
1955 | 昭和30年6月 | わが国初のJIS一級超硬質ガラス「ハリオガラス」タンク炉が完成し、生産体制が飛躍的に向上。 |
1956 | 昭和31年1月 | 通商産業大臣より日本工業規格(JIS)の表示許可を受ける。許可番号第4502号。 |
1957 | 昭和32年4月 | 〝ロータリー・エバポレーターA型〟が完成し、業界初の製造販売を開始。 |
1957 | 昭和32年8月 | 深川工場の近くにある深川雲光院にて柴田化学労働組合が結成される。 |
1957 | 昭和32年11月 | 深川工場を分離独立させ、柴田ハリオ硝子株式会社を設立し、柴田弘が柴田ハリオ硝子株式会社代表取締役社長に就任。 |
1959 | 昭和34年4月 | ヒロムブランドを解消し、HARIOブランドおよびSIBATAブランドに統一。 |
1960年代~1970年代
1962 | 昭和37年3月 | 光散乱式デジタル粉じん計開発、作業環境分野へ進出。 |
1962 | 昭和37年4月 | 60歳定年制を導入。 |
1962 | 昭和37年6月 | 創業者柴田弘死去、柴田武弘が柴田ハリオ硝子株式会社代表取締役社長に就任。 |
1962 | 昭和37年10月 | 柴田化学器械工業株式会社(27.5%)、柴田ハリオ硝子株式会社(27.5%)、ソニー株式会社(45.0%)出資により、柴田ソニー硝子株式会社を設立し、マイクロテレビ用ブラウン管、計測管用バルブの製造を開始。柴田正が柴田ソニー硝子株式会社代表取締役社長に就任。 |
1963 | 昭和38年12月 | 埼玉県草加市松江町6番地に草加工場を建設、操業を開始。 |
1964 | 昭和39年2月 | 大阪営業所を開設。 |
1966 | 昭和41年3月 | 岩国営業所を開設。 |
1967 | 昭和42年3月 | 柴田化学器械工業株式会社 代表取締役社長 柴田正が黄緩褒章を叙勲。 |
1968 | 昭和43年3月 | 創業者 柴田正死去(勲五等瑞宝章 叙勲)、柴田晴通が柴田化学器械工業株式会社 代表取締役社長に就任。 |
1968 | 昭和43年11月 | ドイツショット社との間に工業用ガラスプラント装置の独占販売契約を締結する。 |
1970 | 昭和45年1月 | 理化学業界初のコンピュータIBMシステム360を導入。 |
1970 | 昭和45年7月 | 倉敷営業所を開設。 |
1971 | 昭和46年9月 | 厚生省ビル管理法の施行に基づき室内環境測定機器(ビル管セット)を発売開始。 |
1971 | 昭和46年10月 | 創業50周年記念事業として池田理化社長池田泰三氏が代表発起人となり創業者柴田正、柴田弘の銅像を完成。 |
1971 | 昭和46年12月 | 北九州営業所を開設。 |
1972 | 昭和47年1月 | 週休二日制を導入。 |
1973 | 昭和48年4月 | 長野県飯田市に協和工業株式会社を設立。 |
1973 | 昭和48年9月 | 台湾高雄市にINTERSS TAIWAN LTD(英特科學股份有限公司)を設立し、現地でのガラス体積計製品の製造に着手。 |
1975 | 昭和50年9月 | 株式会社ミサトを設立し、製品配送機能の充実を図る。 |
1976 | 昭和51年3月 | わが国初の理化学ガラス機器製作技能試験において、当社のガラス加工技能者から「一級ガラス製品技能士」が誕生。 |
1977 | 昭和52年2月 | 昭和51年度発明大賞選考会において当社製品「精密微差圧計」が発明功労賞を受賞。 |
1978 | 昭和53年6月 | 有害化学物質の毒性究明に不可欠な「動物吸入実験装置」の製造販売を開始。 |
1979 | 昭和54年6月 | アメリカMDAサイエンティフィック社と環境計測機器に関する売買契約を締結。 |
1979 | 昭和54年10月 | スイスビュッヒ社との間に製造販売契約を締結し、同ロータリーエバポレーター類の製造販売を開始。 |
1980年代~1990年代
1980 | 昭和55年1月 | 原子力発電所向けマスク性能試験装置を製造販売。 |
1980 | 昭和55年6月 | 筑波営業所を開設。 |
1983 | 昭和58年4月 | 社名を柴田科学器械工業株式会社に変更。 |
1983 | 昭和58年7月 | 名古屋営業所を開設。 |
1985 | 昭和60年1月 | スイスメトローム社と同社製の日本国内における独占的販売契約を締結。 |
1986 | 昭和61年4月 | 東南アジア向け大型プロジェクトの直結受注に成功。 |
1986 | 昭和61年7月 | 中国玻璃儀器腐向けガラス製造プラント出荷。 |
1987 | 昭和62年2月 | 中国労働保護科学研究所、新技術応用研究所向け粉じん計製造技術供与に調印。 |
1987 | 昭和62年5月 | 札幌営業所を開設。 |
1987 | 昭和62年10月 | 北京営業所を開設。 |
1989 | 平成元年1月 | 草加工場がJIS表示許可工場(JIS R3503)となる。 |
1990 | 平成2年7月 | 当社ホストコンピュータとの直接回線により、納期照会・注文ができる〝SIBATA CCSシステム〟をスタート。 |
1990 | 平成2年12月 | 世界最大のガラス砂時計を島根県仁摩町に納入。 |
1992 | 平成4年11月 | 草加工場の定型業務省力化にバーコードシステムを導入。 |
1993 | 平成5年1月 | スイスメトローム社との合弁会社メトローム・シバタ株式会社を設立。 |
1993 | 平成5年2月 | 柴田晴通が柴田科学器械工業株式会社代表取締役会長に就任。 柴田昌弘が柴田科学器械工業株式会社代表取締役社長に就任。 |
1993 | 平成5年12月 | 柴田ハリオ硝子株式会社のバイオ科学機器事業部門を柴田科学器械工業株式会社に統合し、販売物流の一元化を実施。 |
1994 | 平成6年2月 | 大型環境プロジェクト、日中環境センター(北京)の受注に成功。 |
1994 | 平成6年7月 | 神奈川営業所を開設。 ジャカルタ営業所を開設。 |
1994 | 平成6年12月 | 九州営業所を福岡市に移転し、福岡営業所と改称する。 |
1995 | 平成7年1月 | 仙台営業所を開設。 ガラスブランドをSIBATAに統一する。 |
1995 | 平成7年12月 | 国際品質規格ISO9001を認証取得。 |
1996 | 平成8年4月 | INTERSS TAIWAN LTD.(英特科學股份有限公司)がJIS表示許可工場(JIS R3505)となる。 |
1996 | 平成8年7月 | 社内LANシステムを構築。 |
1996 | 平成8年11月 | 平成8年度「計量記念日式典」において、代表取締役会長 柴田晴通が計量関係功労者として通商産業大臣より表彰。 |
1997 | 平成9年2月 | 韓国産業安全公団へ吸入実験装置を納入 |
1997 | 平成9年10月 | ホームページ開設。 |
1997 | 平成9年12月 | 国際環境規格ISO14001を認証取得。 |
1998 | 平成10年10月 | 新型ダイオキシンサンプラー(HV-1000F)を販売投入。 |
1999 | 平成11年4月 | 研究・開発・生産のハイブリッド化を図るため研究開発部を草加工場内へ移動。 |
1999 | 平成11年7月 | 社名を柴田科学株式会社に変更。 |
1999 | 平成11年10月 | 株式会社エスアンドエーを設立。 |
2000年代~現在
2000 | 平成12年2月 | アメリカメットワンインスツルメント社と環境計測機器に関しての技術契約を締結。 |
2000 | 平成12年4月 | インターネットによる電子資材調達(電子公開入札)を開始。 |
2000 | 平成12年12月 | 国際労働安全衛生規格OHSAS18001を認証取得。 |
2001 | 平成13年4月 | ガラス加工製造部門を独立し(株)グラステックを設立。 |
2001 | 平成13年7月 | スイスビュッヒ社と柴田科学株式会社の出資により日本ビュッヒ株式会社を設立。 |
2001 | 平成13年12月 | 講談社発刊「日本人名大辞典」の3万名の中に、理化学ガラス業界より3名が選出され、その一人に創業者柴田弘が掲載。 |
2002 | 平成14年1月 | 購買業務を関連会社3社(花園ロジスティックス株式会社、花園資材株式会社、株式会社グラステック)に業務委託を開始する。 |
2002 | 平成14年4月 | 協和工業株式会社を協和テック株式会社に社名変更。 |
2003 | 平成15年1月 | お客様の技術支援窓口として、カスタマーサポートセンター(フリーダイヤル)をスタート。 |
2003 | 平成15年4月 | 1時間計時のガラス砂時計を設計施工、JR大阪駅に設置。 |
2003 | 平成15年10月 | 2004年度構造改革を発表。生産拠点の集約と資材調達を統合し、協和テック株式会社を新規工場に移転。 |
2004 | 平成16年1月 | 黄砂降じん観測用ライダーを国立研究開発法人国立環境研究所と共同開発、富山県に設置。 |
2004 | 平成16年3月 | 環境ホルモン等化学物質の影響調査用「底質魚類環境試験システム」を国立研究開発法人国立環境研究所へ納入。 |
2004 | 平成16年4月 | 協和テック株式会社、花園資材株式会社、株式会社グラステックの3社が合併し、協和テック株式会社となる。 |
2004 | 平成16年5月 | 草加工場の製造部を協和テック株式会社の新工場に移転し、生産活動の集約化を図る。 |
2004 | 平成16年10月 | 柴田眞利が柴田科学株式会社代表取締役社長に就任。 |
2005 | 平成17年3月 | 国立研究開発法人国立環境研究所に小動物ナノ粒子暴露設備納入。 |
2005 | 平成17年7月 | 子会社2社(花園ロジスティックス株式会社、花園科学株式会社)を吸収合併。 |
2005 | 平成17年11月 | 新型アスベストサンプラー(AIP-105)を販売投入。 |
2006 | 平成18年1月 | 基幹系コンピュータシステムをIBM AS400からNTT NewRRRに変更。 |
2007 | 平成19年7月 | アスベスト測定用ファイバーモニター(F-1型、FS-1型)を開発し、販売開始。 |
2007 | 平成19年8月 | 株式会社エスアンドエーを吸収合併し、修理サービスセンターとする。 |
2007 | 平成19年12月 | INTERSS TAIWAN LTD(英特科學股份有限公司)がガラス体積計の新JISマーク表示認証を受ける(JIS R3505) |
2008 | 平成20年2月 | 協和テック株式会社が化学分析用ガラス器具の新JISマーク表示認証を受ける(JIS R3503) |
2009 | 平成21年1月 | 韓国産業安全公団へ吸入実験装置を納入 |
2009 | 平成21年6月 | 協和テック株式会社を吸収合併、柴田科学株式会社飯田工場となる。 |
2010 | 平成22年1月 | ドイツデュラン社と販売代理店契約を締結する。 |
2010 | 平成22年5月 | 草加工場内に新事務棟が完成し草加本社工場とする。 |
2011 | 平成23年4月 | 東日本大震災に際し社員と共に金5,000,000円を日本赤十字社を通じて寄付を行う。 |
2011 | 平成23年7月 | 草加本社工場にラボルームを完成。 |
2011 | 平成23年11月 | 社員持株会を設立。 |
2012 | 平成24年8月 | INTERSS TAIWAN LTD ( 英特科學股份有限公司)が国際品質規格ISO9001を認証取得。 |
2014 | 平成26年2月 | 株式会社プロテックスに出資し、ノロウイルス簡易検出事業に挑戦する。 |
2014 | 平成26年3月 | SIBATA USA INCORPORATEDをアメリカジョージア州アトランタに設立。 |
2014 | 平成26年4月 | 柴田科学ホールディングス株式会社を東京都台東区池之端に設立。 |
2014 | 平成26年9月 | デジタル粉じん計P-1型が分析機器・科学機器遺産2014に認定される。 |
2015 | 平成27年1月 | 基幹系コンピュータシステムをNTT NewRRRから日鉄日立GRANDITに変更。 |
2015 | 平成27年2月 | 執行役員制度を導入する。 |
2016 | 平成28年1月 | 創業95周年記念事業として全社員を対象に台湾へ3泊4日の社員旅行を行い、INTERSS TAIWAN LTD ( 英特科學股份有限公司)を見学する。 |
2016 | 平成28年3月 | 生産拡大に伴い、飯田工場川路を増設する。 |
2016 | 平成28年4月 | 飯田工場にてベトナム研修社員4人を受け入れる。 |
2016 | 平成28年5月 | 熊本地震に際し、社員と共に金3,000,000円を日本赤十字社を通じて寄付を行う。 |
2016 | 平成28年11月 | 大型プラント装置受注拡大に伴い、草加本社工場に屋外大型プラント作業場(可動テント)を新設。 |
2017 | 平成29年6月 | 平成29年度「環境賞」をダブル受賞。1.微量PCB含有廃電気機器を現場で無害化する加熱洗浄装置(電力中央研究所と共同) 2.飛来粒子観測網の構築と予測モデルの開発(国立環境研究所と共同) |
2018 | 平成30年4月 | 草加本社工場に受注センターを開設し、規格品の受注を一元管理する。 |
2018 | 平成30年7月 | アメリカ スティーブン・コビー博士『7つの習慣』のセミナーを課長以上に実施する。 |
2019 | 平成31年2月 | 組織に本部制(管理本部、海外新規事業部、営業本部、技術開発本部)を導入する。 |
2019 | 令和元年5月 | 新時代令和に入り社内呼称を全員”さん“とする。 |
2020 | 令和2年2月 | SDGsに取組む為、プロジェクトチームを発足しスタートする。 |
2020 | 令和2年6月 | 埼玉県草加市へ医療従事者の方々の支援のため、N95マスクを寄付。 |
2020 | 令和2年9月 | マスクフィッティングテスターMT-05U型が東京都トライアル認定制度商品となる。(認定番号R207 号) |
2021 | 令和3年9月 | 創業100周年を記念して最初の取引先であり、最初のお客様である東京大学に寄付。 |
2021 | 令和3年10月 | 創業100周年を迎える。 |
2022 | 令和4年1月 | デジタル化、データの収集・活用を行う企業変革を目指すためDX宣言。 |
2022 | 令和4年4月 | 次の100年(NEXT100)に向けて企業イメージの統一化とブランド価値向上を目指し、CI戦略をリニューアルスタート。 |
2022 | 令和4年7月 | きれいな空気と水に満ちあふれた緑の地球を守り、将来の世代も安心して暮らせる、持続可能な社会をつくるため、”柴田科学 カーボンニュートラル宣言2121″を掲げる。 |
2022 | 令和4年10月 | 物流拠点を埼玉県三郷市「三郷物流センター」より東京都足立区「株式会社杉村倉庫」へ業務移管。 |
2022 | 令和4年10月 | コロナ禍のため、帝国ホテル(東京)とシルクホテル(飯田)間でWEB会議システムを利用した二元中継を行い、1年遅れで創業100周年祝賀会を開催する。 |
2023 | 令和5年7月 | 経済産業省の定める「DX認定事業者」としての認定される。 |
2024 | 令和6年1月 | 草加本社工場内にR&D棟とSC棟を新設。稼働を開始する。 |
2024 | 令和6年2月 | 能登半島地震に際し、社員と共に金1,000,000円を日本赤十字社を通じて寄付を行う。 |
2024 | 令和6年5月 | 台湾東部沖地震に際し、社員と共に金1,000,000円を日本赤十字社を通じて寄付を行う。 |